透明ではない
今の私は透明。誰かがいった。
それは透明な姿の自分の幻想に見立てているだけだ。透明はなにも発っせない。誰かの私は発する事が出来る。
好きなとか、好かれる様な事ではなくて、発してしまう様な事、あなたは、きみは、私が、僕が、イメージではなくて、体内で溢れだすような事、言葉。それ達は他人の内面をことばそのものでとらえる人には届かないこと。
その透明な私が、綱を引こうとする。引けやしない、透明でいられる場所をさがしても、ただ何度も姿をみせなくてすむ場所が見つかるだけだ。
誰かの私は無気力からうまれる私は無力といった体から付いてはなれないものと願ってやまない向上を感じているだろう。
その透明な私というのは発する事も感じることも出来るのだから、透明な視線で映る透明ではないものを観ればいい。