王のいないボードに音造りの意味を考える
音つくりに向かう態勢として摸索摸索を日々やっていると途方もない距離を感じるのだけど、それは思うに王の無い将棋を打っている様にも思える、と思ってみる。それ以外の駒は王を攻め守るために必要な決まった動きをさせるのだけど、王のいない場合は、何のために決められた動きをするのか解らないまま王を探し続ける。
ある時点では「ここに王があったら面白い」「ここにあったらやりやすい」とか頭を働かせる以外はすべてが無駄の様に思われるが、その頭の働きこそ自身の思考の表れであるから表現としては、やりがいが無いという事では全くなくて、それでも自由自在にやっていると思っても、むしろ音楽をやるという事で置かせられざるおえないボードの中で「それが81マスなのか162マスなのか解らないけど」こうであってほしいと試行錯誤をくりかえすのである。
それでも王が始めからそこにあり、つまりはこれがヒットするとか売れるとかいった様な商業的かつ不正確な目的があって駒を進めるよりは、進めながら王の「音造りの」「この造りの方が立体的かと」あり方を考える方がよっぽど人間らしいと思うし、面白いのではないかと思う。
そう、決められたボードの上で途方もない距離を感じながら。