少太blog

北海道出身の歌唄い

今年のライブ納めです

今年のライブ納めです。
Bar Tarji 忘年会LIVE
12/25日(日)
OPEN 17:00 START 17:30 CHARGE ¥1500(ドリンク別)

出演(出演順)
佐山亜紀(仙台)
BRONCO
Kechon Kechon Jug Band
少太

※人数制限あり完全予約制
予約はE-mail又は電話にて受付中
http://tarji.info/

席数残りわずかとなっております、予約はお早めにどうぞ。

時を待つ

2年半ぶりのライブ、仙台へ。
いつもなら当日になって選曲したりする感じなのだけど、今回返事をしたその時から既存の曲の中から今やりたい曲の清書と曲の再構築に集中、きっちり決めたものをきっちりやろうと、めずらしく。

今回依頼をいただいた時に正直「うーん、、」となってしまった。どうもイベントというものが苦手な性質なのだ。
しかし結果的には感謝している。

しかし性質というのは変えようと思って変えられるものではない。
音楽をやって行く上ではうまく付き合っていくしかない。

終わった次の日の帰りの電車の車窓を眺めながらビールを飲んでいたら感じたことのない様なきっちりの姿勢からの解放感に襲われて、雪の降り初めの様にハラリハラリと、新たな言葉、曲の断片が降りてきて、硬直した。
「おいおい、今かよ!」と思った、いや声に出していた、。

コロナで抜け落ちたものが時間だと思っていたけど、違った、これだ、この感じだ。
急いでかき集めようとしては駄目だ、手の中に消えてしまう。
じっくり積もらせるのだ、書いては消し書いては消し点が面になるまで。

今回のライブがなかったらこうはならなかっただろう、いい経験になった。

ライブイベント情報


7月仙台にてライブイベントです。

4/17(日) 20:00までメールにて先行販売中!
Mail: groovecouncil@gmail.com
「Mix6」係
氏名・枚数・郵便番号・住所・電話番号を明記し上記メールアドレスまで!
【店頭販売&通販】
・4/19(火)19:00からVORZ BARにて
・通販も先行販売と同じ手段にてこの日から受け付けますが、整理番号は
①先行予約〜
②店頭販売〜
③一般通販
となります
よろしくお願いします。

科学は言語の宿題

全ての思考、現象は言語が先立っているというのはかなり信憑性が強い。

例えば揺れている木を観て木が揺れているということは「風が吹いて木を揺らしている」という言葉が先立って現象を認識させる。

しかしそれでは説明出来ない人種、事柄がたしかにある。そういう事が必要のない民族、「精霊が木を揺らしている」とても面白い。

生きるとは起源に帰る事なのか。

-3-

私の思う足跡は後ろに尾を引きながら伸びてゆき、唯一今現在という確かな根拠を私は観ている様で、それではともう一度前を見据えて歩いていると、吹雪に遮られた視界の遠くの方に雨風をしのげそうなひとつの洞穴をみつけた。

洞穴の奥に繋がる道筋はなく、広々とした空間があり、私はその場所に不思議な安堵を感じて、なるべく平たい場所を見つけて横になり、そのまま有り余る疲れに、暗黒の洞穴の湿った静けさに、身体が引きずり込まれる様にして眠ってしまった。

日記

プラトンプロタゴラスの中に書かれてあるように、汝にとっての善と悪を考慮判断するときに、ずっと先に起こりうる様なものを思考する数学的な時間のものさしは必要だと考える。

一方で私と誰かを計る時間が不必要なものさしは不必要と考える。

終わりなき物語。

2021-04-29 03:47:48


今日はまた植物の根が水中に一ミリ伸びた。

植物の名前は忘れてしまった。
卓上のチューリップの花は土偶の様な形にゆがみ枯れゆくよう。

「こんにちは」

「あちらから来たのですが、そちらがわの山道に花は咲いていましたか?」
「いえ、山道は枯れ枝ばかりでしたが、花が好きでしたらそちらにいかれるよりは野の園にいかれてみては」

「ありがとうございます、でも管理された園に出向いてみても、わたくしが知らない小さな花をわたくしが見つけた喜びがないでしょう」

「花がお好きなのですね」

「はい、知らない場所で知らない花に出会えるのが好きです」

帰り道に杉の道。

梅の




一人の男児がこちらへ駆け寄って来る、パタパタと。

「わーキレイー!」

「ほれーたけしー鼻水ででっどれー」

「あかーしろー!」

「鼻水でっだー」

「ピンクー!」

「はなみずー」

「キレイー!」

「はーなーみーずー」

「おかあさーん、ウメのー」

「はーなー」

奏でることと書くこと

私の好きな小説家の人達の小説に向かうときの思考を読んでいると、だいたい同じ様な共通点がある。

だいたい話の筋道の事はあんまり考えてなくて、だいたい行き当たりばったりで、だいたい『音楽』を奏でるように言葉に向かうときに身体のリズムがあって、だいたいそれはまるで『音楽』で、だいたい書き終えた時に書き始めた時とは違う場所に居る自分に気付く、少なからず飛躍している自分がいるという様な事。

私はライブをやっている時に、或いは音を創作しているときに体感として同じ様な事を感じることがあるのだけど、小説家にとってのその音楽のあり方を、音楽家とは言えないにしても音楽をやっている私にとってのその文章に向かっている途中の揺らぎのリズムの様なものが感じられ、1つの物語がその手により掘り起こされ作り上げられたとしたら、また私の音楽に微塵にでも変化が生まれるのではないかという風に思っている。

日々何かしら思った事などを、とにかく文章に向かう事を続けているのだけど、、、。

カミュ著作の『ペスト』の中でグランという人物がひそかに執筆活動をしていて50ページ程の原稿のその部分

「美しく晴れた栗毛の牝馬に跨がり森の小道の花のなかを駆け巡っていた」

という部分を何度も言葉を変えては書き直して、「いや、やはり美しくというのはどこか良くない」と、長い間書いていたその原稿を医師であるリウーに消えかかった火の中に燃やしてほしいと頼む部分があって、そういえば私も何年も同じ様な事をしている様な気がしている。

別に何か目標があるわけでもなく、ただ文章を書いている事が楽しいのでそれでいいと思うけれど。